「今、教育現場では、あらゆる学習において、社会に出てからの実用性を重視する実学思考が強まっている。」というウェブニュースを見つけた。
開星では読書を取りを入れていることもあって、この記事について少し考えてみた。
「学校の勉強は社会に出てから何の役にも立たない、方程式なんか社会に出て使うことってありますか?」
よく耳にするご意見だ。
「学校でも、もっと役に立つ内容を教えるべきだ。」そんな声が高まり学校教育における実学重視の傾向が強まった。
簡単に説明すると「大学入試および高校の『国語』改革において、文学の勉強から、もっぱら実用文に重きを置いた学習に移行する」というものだ。
大学入学共通テストの実施に伴いそのモデル問題が2017年に提示された。
その中で国語に関して、「生徒会の規約」「自治体の広報」「駐車場の契約書」が問題文として出題された。
2022年度からは高校の指導要領改定に伴って、このような問題を解けるようにするための授業が多くの高校で行われることになる。
指導要領の改訂は文科省、すなわち国がそれを定めたことになる。
実用文中心の教科書が作られ、国語の教科書から文学が消え、生徒たちは実用文を中心に学ぶことになる。(一部文学を含む教科書も残ると思うが、入試対策の必要から、その教科書を採用する学校は少なくなると予想される)
一方、読書好きが勉強できるとは限らないが、私立の進学校は大量の読書をさせて、議論させる。
灘校の伝説教師、橋本武先生の『銀の匙』という小説1冊を3年間で読み込む授業を通して、灘を東大合格日本一に導いた「軌跡の授業」はあまりにも有名だ。
小説を読むことで地頭が良くなることはみんながわかっている。
文科省が考えているのは、高校生の二人に一人が大学に行く時代になり、簡単なレポートも書けない大学生が大量生産されていることに危機感を覚えているだろう。
そこで実用的な国語を学ばせることに大きく舵を切ったのだ。
進学校の生徒たちは本を読み、読解力を身につけているので、実用文の勉強など改めてする必要はない。
私立進学校の生徒たちは、国語の授業や自分の趣味として、これからも小説や評論も積極的に読むだろう。
一方で、もともと本を読まず、読解力に乏しい生徒たちは、国語の授業で実用文の読み方を学ぶことになる。
今まで本を読まなかった生徒でも、かろうじて教科書で小説や評論に触れることができたのに、今後は教科書にさえ出てこないのだ。
このような生徒たちは、今後小説などの文学作品や評論文と言った文章に生涯触れることのない人生を送ることになるのだろうか。
その結果、教育の機会均等を好む日本で、文学に親しむ教養人と実用文しか読まない非教養人の二極化がどんどん進み、今後の子ども達の人生を大きく左右するのではないかと考えてしまう。
ベストセラー作家でもある斉藤一人さんがこんなことを言っています。
「本も読まないで生きていけるほど、この世の中あまくはない。」
そういえば、本も読まないまま、今年の盆休が終わっちゃう!
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